 |
この写真はエスとティがシェパード・カレンダー用の撮影のために
スタジオでプロに撮ってもらったもの。9歳の頃。 |
エスが旅立って1年ちょっとが過ぎた。まだいつもの場所にいるようだ。全然実感が湧かない。ほぼ15歳まで長生きしてくれたエスの想い出を振り返ってみようと思う。当基地の忘備録なのでスルーしてくれ。
そもそもシェパードを飼うことにした理由ってのが、コレ⇒ たまプラーザは空き巣や泥棒の多さでは全国トップクラス。殺人もあったし、マンション廊下で不審者に司令官が部屋まで追いかけられ、ギリギリ鍵を閉めたノブをガチャガチャされて危なかったことも。近所の同僚の母親は縛り上げられてキャッシュカード盗られて400万円おろされたし。暗証番号違ってたら戻って来て殺すって脅されてさ。一戸建てにしたら番犬が必要と考えるのは自然だった。盗られるモノは無いけど命は大事だしな。で、俺にとって番犬と言えば
ジャーマン・シェパード・ドッグしかなかった。軍や警察での活躍で証明されるように、世界で最も優秀な作業犬だからだ。盲導犬も本来は全部シェパードだったのに殆ど知られてないのは残念だ。周囲の人間が怖がるから、毛が抜けるからという理由でラブに変更されたンだよ。横道に逸れたが、精悍なルックスのシェパードがうろついている家を
泥棒もわざわざ狙わないよな。
当基地建設時の1997年はまだインターネット未導入で、シェパの入手法がわからなかった。建築現場に通っていると、運良くシェパを連れて散歩している男性に出遭った。尋ねたら安達警察犬訓練所から譲ってもらったという。そのOさんは親切で、もし本当に欲しいなら一緒に行ってあげると言ってくれた。後日、司令官がOさん夫婦と下見に。シェパ初心者なら訓練の入った成犬を勧められていたので、訓練中の若い5頭のなかから1頭に目星をつけて帰って来た。それがエスだった。
1997年11月24日(月・祭)、引っ越しが終わった2日後に俺もその犬に会いに行った。誰?この人、という感じでちょっとおどおどした気の弱そうな犬だったナ。生後9ヶ月だがもう立派な体格だ。この子はすごく従順だから飼いやすいと、訓練士さんも勧めてくれた。右耳が立ってなくて見栄えがなぁ、と、思ったけど、それがカワイイからいっか、と、こいつに決めた。
引越しの大量のダンボールの開梱が済んでないので、翌週に引き取りに来ると伝える。すると、月が替わると1ヶ月5万円の訓練費が加算されると言う。仕方ないのでそのまま連れて帰ることに。11月末の小雨が降る寒い日で、クルマのラゲッジ・ルームは泥足でドロドロ。寒くてかわいそうだから体を洗わなくていいと言ったものの、臭くて参った。。。
帰り道、運転しながら、こいつの一生の面倒見るのか、という負担感の重圧に苛まれた。実は俺、結構ナーバスになっていたのだ。その何とも言えない大きな不安感は、これからこいつに起きる驚くほど多くの病気や怪我などの苦難を暗示していたのかな、と後になって思ったものだ。
基地到着後の夜、小雨から土砂降りになったが、トイレをさせるために仕方なく散歩に出た。もうこっちもずぶ濡れ。しばらくしてやっとオシッコをしてくれた。濡れついでにタオルで体中を拭いてあげたら匂いも大分取れた。バタバタで本当に印象的な日だったなぁ。
んで、ある疑問が。なぜかまったく吠えないのだ。番犬にならないじゃないか!いきなり連れて来られて緊張してたんだな、数日後にやっと吠えて安心したヨ。ふぅ。
こいつの本名はヴィーカ・フォン・シイノキソウだ。名門シイノキソウの末裔。でも、そのままじゃカタイので、当基地での名前はS〔エス〕にした。ポルシェのお友達の犬の名がターボ。ウチは911Sだったので犬の名はSと決めていた。S〔エス〕、思いのほかありがちでもなくて我ながら良い名前だと思ったナ。
それからは訓練士さんに教わった通りの訓練をしに近所の空き地へ通う。当時は造成された空き地だらけだったからさ。徐々にエスも俺たちに慣れてきて生き生きしてきた。従順でホントにいい犬だと思った。
この頃は写真を撮る余裕もなかったので写真が見当たらない。。。 あれ?何も撮ってなかったっけ???
 |
具合がいかにも悪そう。初めての写真がコレかよ。 |
エスが来て3週間が経ったクリスマスイブ、なんか様子がおかしい。元気が無く、食欲も無い。食べても食べても戻してしまう。そのうちに下痢も。やがて血が混じってきた。
早速、
中田動物病院とのお付き合いが始まった。この病院は小動物から馬までを扱う
365日24時間体制の病院だ。血液検査、レントゲンを撮っても異常は無い。しかし、症状は悪化の一途を辿った。当初、パルボ・ウィルスなどが疑われていたのだが。。。
1998年元旦、苦しそうにのたうちまわった挙句に嘔吐。血も混じっている。もうこれ以上放置できない。食べても戻すということは器官が詰まっていると思った。案の定、造影剤の通りが悪かったので、何かしらで詰まっているという診断だった。原因不明のまま開腹手術に踏み切る。開腹して判明したのが、大変珍しい胃十二指腸嵌入だった。文字通り、胃に十二指腸が嵌ってしまい、モノが通らなかったという状況。胃捻転や腸捻転同様、異物が詰まった訳ではないのでレントゲンにも写らなかったンだよ。
大手術だったので、2週間も入院した。これは退院直後の写真。まだ生後11ヶ月なのに(;_;)。32kgあった体重は21kgに。。。 ホントに骨と皮だけだ。再発しないように胃にギャザーを寄せて細く絞って縫ってもらった。
中田院長から、胃腸が太く強くなるようにと、毎日朝晩おからを、山ほど与えるように指導された。それから週に1~2回、早朝の豆腐屋さん通いが始まった。事情を話してバケツ1杯パンパンに押し込んで200円で譲ってもらった。回収業者が引き取りに来る前に行かないと無くなっちゃうから結構焦ったな。これを1年間続けたンだ。
おからは回数分ずつジップロックに入れて冷凍保存した。味が無いから匂い付けに肉のゆで汁をかけて、とか、薬は口を開かせて喉に投げ込んでから口に含んだ水をピュッと吹きかけて飲ますようにと指導された。最初はそうしたよ。でもエスはおからだけでもモノ凄い食欲でバクバク食べる食べる。薬だって手のひらに載せて、ヨシ、って言うとパクッと食べちゃうし。イイコだったなー。食欲旺盛な姿を見て、これでもう絶対に死ぬことは無い、と確信した。
この眼つき、エスらしくてカワイカッタなー♪ 耳もこんなになっちゃってw 感情が表情にとってもよく出るイヌだった。
1998年2月1日(日)、エスの1歳の誕生日だ。エスの名前を貰った
1973年式ポルシェ911Sと。エスはだいぶ元気になったぞ。

竣工間もない当基地。
みなとみらい駅や学校・美術館など、大規模建築が多い著名建築家・
早川邦彦氏の作品
『美しが丘の家』。本当は美しが丘
西なんだけどさ。
欧米の住宅っぽくフェンスなし。エスには敷地から出ちゃダメ、と教えておいたから出なかったンだ。ところが、ネコには異常な反応を示し、追いかけてしまうことが発覚。これは無理だな、ということでフェンスができるまで放し飼いにはできなかった。
ガリガリだったけど、力も出てきたぞ。引張りっこも大好きで、やってくれってロープを持ってきたなー。細い指が笑っちゃうな。
もうすっかり健康な犬になった。生命力の強い犬だなー。ヨカッタ、ヨカッタ。
宿敵のネコ発見! 実家に居た2匹のネコも絶対に許さん!と言った感じ(+o+)
当基地周辺の広大な造成地で遊ぶ。ボールとフリスビーが大好き。特にフリスビーはちょっとしたモンだった。飛んで行く方向とスピードの落ち具合を読んで正確にキャッチしてた。
正月には馬も診る中田動物病院主催の馬と触れ合う会が催される。エスは馬に興味深々。近寄りたくて、もータイヘンw
欲しい人はフセ!
ハイっ!って、フセする。
早い早いw
じゃ、ねんね!
ハイっ! って、ねんね。
その手は何だwww
カラダは本当にしっかり。
フワフワの毛が触り心地イイ。
ボールでサッカーごっこ。ボールを取り合うのだが、絶対に咥えて持っていかないでパスしあって遊べるコだった。
まだおから食べてるよ。
エスのクルマ、
M1009が来た!
俺が熱中してた西洋芝の庭に、石っころを運んできて並べるのが好きだった。変なヤツだったぁ。
寒い季節はくっついて寝るのだ。
初めての海・葉山に来た。でっかくてびっくり。
頭上を飛ぶとんびが気になって気になって。唇噛んで観てるしw
当基地、フロント・ハンガーにて睨みを効かせるエス。番犬として貫禄が出てきた。こうして腕を組むのがエスの癖。これまたカワイイのだ。
シャンプー嫌いなのだ~。嫌々手を上げる。
エス、初めて年賀状に登場。
お散歩バッグは必ず自分で持つ。空き地で遊んで、帰るよーって言うと、自分からバッグを持って帰り始める。
西湖にて。浅いと思って中洲から戻ろうとしたら、思いのほか深くて思わず初泳ぎしてしまって驚いていたエス。笑えちゃった。まだ濡れてるでしょw
PICA西湖で1泊。毎日1組が抽選で宿泊無料。3月のこの日、宿泊客が俺ら1組のため、無料だった♪

雪が降るとテンション上がるんだなー。サクサク感が好きだったみたい。
自作でフェンスを作ってみたけど、X状に張ったワイヤーの隙間から出て猫を追いかけちゃうンで意味無かったワ。
エスが一番エスらしい写真。これを遺影として毎日観てるんだ。